しおんの王アニメ化

咲と似て非なる。

この話には凄いところがあって、それは
「障害者」の主人公が必要以上に「可哀想」に、
描かれていない事。
これ、地味なんだけど凄いことで、どうしたって
日本のメディアでドコかに「障害者」を「障害者」と
して書き出すと、
まあほぼ自動的に「懸命」「必死」がついてきて
「凄く可哀想」に見えるようにウザーく美化されてしまう。
理由はいろいろあるんだけども言わないよ。

美化してないことはない、
ただこの漫画は「美少女萌え将棋漫画」としてまずは見られる訳で
その萌え美化の分さっぴいて考える必要がある。
そういったジャンルで、
もうちょっとステレオタイプの障害者として描かれそうな
唖の少女(視認性優先表記であり他意はない)の
描かれ方の普通っぷりの凄さには驚くしかない。
「無口」「弱気」と同程度の扱いなんだよね。
これは、判ってないんじゃない。筈だ。

(ま、この子の場合後天性かつ心因性たから、
美少女のネガ側面として扱い易かったのも
あるんだろうけど)

これをTVアニメ化して公共の電波に乗せる事で、
どれほどの意味になるのかはわからないけど
何気にまだまだ珍しい気がするんだよな。

この「可哀想じゃない障害者」の像。

アニメ化する流れで変な視点にならない事を望む。

つか、なにげないけど
アニメ的に見て「喋れないキャラ」が主人公ってのも
すごく冒険ではなかろうか。